栃木県日光市にある日光東照宮は、江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る神社。社殿群の中にある五重塔は、若狭国(福井県)小浜藩主、酒井忠勝公により慶安3年(1650年)に建てられました。
文化12年(1815年)、火災により焼失し、文政元年(1818年)に小浜藩主酒井忠進公により再建されました。
再建時、若狭藩御用達である江戸神田の大工、大久保喜平次を惣棟梁として、宮大工が招集されました。日光東照宮修営志によれば、「繒方、錺、塗師、大工の何れも皆其棟梁と高弟二人宛、何れも他言せざる旨の起證文を差し出して従事した」とあり、身分の確かな者のみが関わっていたとされています。
但し五重塔の修繕に関しては「小浜藩主酒井忠勝が建立、奉納したので幕府方は一切関係せず、酒井家で致す」ともあり、若狭藩御用達大工、大久保喜平次を筆頭に大工が招集されたようです。当社先代の棟梁が関わっていたかは定かでありませんが、
明治期には東京神田小川町で石井工務店として居を構えていた経緯や、「過去(先代)の棟梁は帯刀を許された身分だった」と当社に口伝で伝わっている事もあり、先代棟梁が「御用達職人」または「大名屋敷出入り職人」だったのであれば、大久保喜平次と何らかのご縁があり、この資料が当社に残っていたのかもしれません。
日光東照宮では明治期の神仏分離で多くの資料が散逸しており、獻備五重御塔建地割図は全国でも数点しか残っていない貴重な資料の一つではないかと思われます。
※建地割図とは一般に断面図、立面図の事。
五重塔は地震に強く、日光東照宮の五重塔も過去の大地震を乗り越え、現在も健在です。図にもあるように、塔から心柱を鎖でつないで宙吊りにする「懸垂式」と呼ばれる心柱構造は、地震の際に振り子のように動き、地震を緩和する(免震機能)と言われています。