宮大工とは神社仏閣(社寺)等の建築や補修に携わる大工の事です。飛鳥時代(崇峻天皇5年(592年)~和銅3年(710年)にかけての118年間)頃より歴史があります。 渡り大工とも呼ばれ、何年も家を離れて現地で建築や修繕等を行っていました。神社仏閣(御宮様)が宮大工の名前の由来となっています。徒弟制度により、その技術や技法 はおおよそ口伝で伝承され、代を継ぐ毎に技術が昇華されていきます。宮大工それぞれの系列によってオリジナルの要素(秘伝やノウハウ)が存在します。 宮大工の技術は釘をほとんど使わない、木組みによる耐震技術は地震大国日本ならではの技術とも言えます。現地の湿度や温度による木の伸縮性を計算に入れ、現地の木材で作られる為、 また、道具すら自分で作らなければならない為、一人前になるまでの期間が一般の大工よりかなり長いのが特徴です。関西より全国に広がった宮大工の技法は各地に広がり、 そのうちの一つが大五郎建設という訳です。もっとも古い宮大工は金剛組(578年創業)と言われ、当社は元禄五年(1692年)創業です。当社でも300年以上の歴史があります。
写真にある輪蔵(経蔵の中央に回転させることが可能な六~八面等に貼り合わせた形の書架を設け、大蔵経を収納した形式のもの(回転式書架)。回転させると経典全巻を読誦したのと同等の御利益が得られるものと信じられている。)は、 明治23年(1890年)に大五郎建設第五代目棟梁により作成されたものです。すでに制作より120年以上経っており、今現在も健在です。金物をなるべく使わない、古来よりの木組みによる伝統工法は、物を大事にする技術と言えます。壊れた箇所を修復し、一つの物を長く使う事を前提としたこの技術は、 現代の「捨てる」「壊して建て直す」等とはまったく考え方が違う、物を永きに渡って使う、日本古来の建築技術です。
弊社大五郎建設有限会社の先祖を遡れば、黒潮文化の流れと共に、縁あってこの地に腰を据えたと記録に残っております。
先祖より伝わる資料に「石井家の開墾の年歴、始まった年、確カク確たる事、合わからず、伝えに曰く、当村開基の長たる者、当村草分けの数は農拾八戸なりと伝う」との文言が残されています。
先祖は安房に居を構えながら江戸に出向き、宮大工の仕事をしていた記録があります。祖父の代(第七代目棟梁)、東京神田小川町で石井工務店として建築業を営んでいましたが、
戦争が激化した為、安房に戻りました。その後、様々な困難を乗り越え、ひたすら建築の道一筋に、私で「第九代目白子五郎右衛門」の屋号を継承致しました。私の代に入り、大五郎建設有限会社として、
時代の変革の中3人の倅達にも恵まれ、次の世代へ技法、技術の継承を伝える事ができました。
大五郎建設有限会社はこれからも日々精進し、代々伝わる確たる技術と現代の新しい技術を織り交ぜ、さらに技術を昇華させてゆく所存です。